道徳とは何か?――安岡正篤・稲盛和夫に学ぶ「人として美しいか否か」

私がたまに読み返す書籍の中に、安岡正篤氏や稲盛和夫氏の著作があります。どちらも、経営者として、あるいは思想家として、時代を超えて読み継がれている名著です。その中で、たびたび登場するのが「道徳」という言葉です。

皆さんは「道徳」と聞いて、どんな印象を抱くでしょうか?

私自身、小学校の頃に「道徳」の授業がありました。しかし、正直に言えば、当時はその本質がよく分かっていなかったように思います。よいことをしましょう、思いやりを持ちましょう――そんな表面的な理解しかできていませんでした。

しかし、大人になり、安岡氏や稲盛氏の書籍を読みながら、改めて「道徳」とは何かを考えるようになりました。

道徳とは「人が人らしくある」ためのもの

安岡正篤氏は、道徳とは「最も自然なものである」と語っています。そして、それは「人が人らしくあるにはどうなければならぬか、それが道徳である」と。決して押しつけられるものではなく、本来、人間が自然に持つべきものだというのです。

一方、稲盛和夫氏もまた、道徳について繰り返し言及します。その根底にあるのは、「人として正しいことを貫く」という考え方です。

両者の思想を通して私がたどり着いた結論は、道徳とは結局、「人として美しいか否か」という問いに尽きるのではないか、ということです。

「躾」という美意識

ここで、私が連想するのが「躾(しつけ)」という言葉です。
「躾」とは、身を美しくすると書きます。
これは単に礼儀作法を教えるという意味ではなく、人としての在り方、生き方、振る舞いそのものを、美しく整えていくということなのです。

5Sの本質は「道徳」

「整理・整頓・清掃・清潔・躾」――いわゆる5S活動は、現場改善や業務効率の基本として語られることが多いですが、私はこれを人としての美しさを磨く訓練であると考えています。

特に「躾」は、5Sの最後に位置付けられていますが、最終的にはここがすべてを支える根本です。
「躾がなければ、整理も整頓も持続しない。」
つまり、5Sとは「人として美しいか否か」という道徳的実践なのです。


まとめ:道徳は特別なものではない

道徳というと、宗教や倫理のような堅苦しいものを想像するかもしれません。しかし、安岡正篤氏や稲盛和夫氏が伝えるのは、「道徳とは人間が本来持つべき自然な美しさ」であるということです。

毎日の整理整頓や、掃除、あいさつ、感謝の言葉――それら一つひとつが、美しい生き方に通じています。

私たち一人ひとりが、「人として美しいか?」という問いを胸に刻み、日常を整えることで、道徳は自然と根付いていくのではないでしょうか。

関連記事

  1. 成長に必要な3つのもの──師・友・愛読書
  2. 【安岡哲学】学問の本質的な意義とは?
  3. 忙中有閑――本物の「閑」とは何か?
  4. スター・ウォーズと東洋思想 〜プロフェッショナルへの道を考える〜…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP