デジタル時代にこそ、新聞を読む意味を考えてみる

私が大学生だった2000年代、周囲の大人や先生からよくこう言われたものです。

「新聞を毎日読みなさい。特に日本経済新聞は読むべきだ」

当時はそれが当たり前で、新聞を読むことが「知的な行動」そのものとされていた時代でした。しかし、2020年代の今、新聞を購読している人は確実に減少しています。インターネットであらゆる情報が瞬時に手に入る時代、新聞の価値は本当に薄れてしまったのでしょうか?

今回は「新聞を通じた情報収集」について、改めて考えてみたいと思います。


山梨に戻って気づいた「新聞の良さ」

私は2023年4月に東京から山梨に戻り、「山梨日日新聞」の購読を始めました。それ以来、毎朝かかさず紙面に目を通すようにしています。

読んでいる理由は、単純に「何か面白いことはないかな?」という感覚です。本を読むようなつもりで、新聞を開く。そしてその中で、ネットにはない価値を強く感じるようになったのです。


寄り道こそが、新聞最大の価値

新聞の最大の魅力は、「寄り道ができること」だと思います。

一面には、経済、地域、文化、教育など、まったく関係のない記事が所狭しと並んでいます。自分が読みたいと思っていなかった記事に、ふと目が止まり、読んでみる。そこに新たな発見や、思わぬ学びがある。

インターネットは、どうしても“自分が見たい情報”だけを選別してしまいがちです。便利ではありますが、その分、視野はどんどん狭くなっていきます。

だからこそ、新聞のように“関係のない情報”が並列に配置されているメディアは、人間としての幅や柔軟性を養うためにも、非常に価値のある存在だと感じます。


レアな情報源になるという逆説

そして、もう一つの価値は「新聞を読む人が減っていること」そのものです。

これにより、新聞でしか得られない情報、地域の動き、紙面にしか載らない声などが、いまや「レアな情報源」となりつつあります。つまり、差別化された情報収集ツールとしても新聞は機能するわけです。

デジタル全盛の時代だからこそ、あえてアナログに目を向けてみる。これは一つの戦略であり、教養を深めるための有効な習慣でもあるのではないでしょうか。


おわりに

「新聞を読むことは、教養を深めること」

そんな風に考えると、朝の10分、15分がより充実した時間に変わります。ネットやSNSでは拾いきれない「意外な発見」や「思わぬ寄り道」を、ぜひ紙の新聞で体験してみてください。

山梨での私の朝は、今日も山梨日日新聞から始まります。


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